足るを知り活き活きと生きる

今日僕は北海道で「北海道フロンティアカレッジ」の講義に行ってきました。
東京はめっちゃ寒い!しかし北海道はもっと寒い。当たり前。千歳ではマイナス6度でしたから、息も凍る。

いつもは駅から会場までの10分の道のりは歩いていっているのですが、今日は大雪のためタクシーでいきました。
会場に着きましたら、スタッフの人や受講生の人が「先生よく来られましたね」と言いますから、僕は「いやあいくら雪でもこれくらいはへっちゃらですよ」と言いましたら、そうではなくて、「よく飛行機が飛びましたね」という意味だったのです。

なんでも、昨日北海道と東北地方一体の空港の電気系統が齟齬をきたし、羽田発千歳行きの便は全部欠航になったというのですから、「えらいこっちゃ」です。

僕は今まで6000回以上講演研修をするなか、なぜだかいつも危機を上手い具合に回避できていてありがたい極みなのですが、もし今日がアウトの日だったらと思うとゾッとします。

でも今日も頑張って話しをしてこれから帰るところです。
今日の研修の中で塾生のみなさんに人生のビジョンを書いてもらったのですが、実はこの人生の夢やビジョンを書くということが大問題なのです。

なぜなら、人によっては「夢って何????」となってしまう人も少なくないからです。
「何をかいてもいいですよ!」といっても、ほとんどワクワクするものが湧いて来ない人もいるのです。僕が「今あなたが書いているビジョンの自分の人生はいけてますか?」と聞くと、「うううううんんんん!」と口ごもってしまう人もたくさんいます。

本当にもったいないなあという気持ちがします。それでもじっくりと自分の心を見つめていると、「ああそうか」と自分の本当にしたいことがポッと出てきます。

「あなたが本当にほしいものはなんですか?」という問いを、そうですね、10分くらい自分に聞き続けると、最後は形ではなくある種の「喜びや幸せの意識」がほしいということに気がつきます。

それを得るために僕たちは毎日頑張っているのです。僕たちはいわゆる人生の喜びや楽しさを味わうために、ああでもないこうでもないと言いながら、生きているのでしょう。

今、日本を中心とした歴史の勉強をしているのですが、幕末期、外国から来た人たちが日本をどのように見ていたかを調べてみると、なんと外国人からみたら、日本人はいつも笑っていて、楽しそうで、お互い礼儀正しく、人生を謳歌しているように見えるといっているのです。
「日本には貧しさはあっても貧困はない」とみんなが口を揃えていっているのです。

そして、外国人は江戸の日本人を見て「彼らは人生のほとんどを、どんな方法で楽しく遊ぶかということに費やしている」と語っているのをみると「江戸って封建的に庶民はいじめられていたのじゃない?」と思ってしまいます。

渡辺京二さんが書いた「逝きし世の面影」は実に興味深い本です。
日本人がかつてどんな境遇であったとしても、自分の人生の中で足ることを知り、その中で活き活きと生きていた様がよく見られます。

来年は明治維新150周年です。
そして北海道という名前がついてから150周年です。

僕たちは、かつての時代を「あのときはよかったなあ!」と、単に懐かしがっているだけでなく、これから未来に向けて、日本人の心のなかにある「よき遺伝子」をもう一度オンにして、そして素晴らしい日本を一緒につくろうではありませんか!

というわけで今日の僕の所信表明演説はこれにておしまい。
これから東京に帰ります。

それではみなさん明日もよき日に!

ごきげんよう!