「君が代」のルーツ

今日は都内で研修をした後、家に登山家の栗城史多(くりきのぶかず)君とソプラノ歌手の野々村彩乃さんを自宅にお招きしました。

野々村彩乃さんのことは先日のブログでも書きましたが、高校野球の「君が代」で昔有名になり、その後、日本の心を歌うソプラノ歌手として大活躍しています。

今回なぜ彼女が来たのかというと、栗城君が彼女に、僕の交響曲の「大和」の話をして、「是非それを見たい」ということで来たのです。

実に透明感のある女性で、家で「君が代を歌ってくれますか?」とお願いしたら、「もちろん喜んで!」と快諾してくれて、素晴らしい「君が代」を聞かせてくれました。

来年2月22日のジャパンスピリットコンサートの実行委員のみなさまも来ていただいたのですが、全員感動していました。
僕も調子に乗って、お礼として「ハナミズキ」を篠笛で演奏しました。
僕としてはもう二、三曲吹きたかったのですが、娘から「お父さん絶対一曲だけね!!!!!!」ときつく言われ、泣く泣く一曲でしたが、実に楽しいひとときでした。

そして話の中で、ジャパンスピリットコンサートに彼女も出演してくれることになったのです。
しばらくしましたら、チラシができあがります。そのときはみなさんにご連絡しますので、是非是非おいでください。

僕の人生、音楽を軸にして、いろいろ面白い展開になりそうです。
来年は、「ジャパンスピリット」の講演を全国ツアーで展開していく予定ですが、二部では彼女と一緒に、歌と篠笛のコンサートをして「日本の心」を全国に届けていこうと思っています。

それにしても「君が代」はいいですね。「あなたと私のこの世の中は、これから何千年も何万年も、さざれ石がよし集まって大きな岩になるまで平和でありますように」という歌ですから。

「君が代」と言えば、「ジャパンスピリット」を書くために、各国の国歌を調べてみたのですが、「銃をもってたちあがれ」「暴君をやっつけろ」「命をかけて戦え」というような歌詞が多く、日本の君が代のような、のびーーーとして平和そのものの歌を見つけることが難しいくらいでした。

「君が代」はもともと「古今和歌集」に収めらていて、詠み人知らずなのですが、それが1872年に、日本が外国と交流をもちはじめ、国歌になったのです。

それがいつの間にか、それは思い違いも甚だしいわけです。
明治天皇は、日本が戦争にまきこまれるときに、「四方(よも)の海わが同胞と思うよになど波風のたちさわぐらん」という歌を読んでおられますが、まさに「平和」を心から願っておられたのです。

コンサートの当日は彼女の素晴らしい「君が代」を是非みなさんも聴いていただきたいと思っています。
どうぞ楽しみにしていていてくださいませ。

というわけで今日もよき1日に!

ごきげんよう!