11月29日、中曽根康弘元総理が101歳でご逝去されました。心からお悔やみ申しあげます。

中曽根先生には、生前本当にお世話になりました。私がNPO法人「富士山を世界遺産にする国民会議」の委員長をしていた時に、中曽根先生に会長をお願いしました。

2003年のことですが、この時すでに中曽根先生は85歳というご年齢でした。

一番最初に会長職をお願いに中曽根先生の事務所にお伺いした時のことです。私が富士山の世界遺産の企画書を持っていったところ、中曽根先生は小机から眼鏡を取り出し、また赤ペンを持って、私の説明を聞きながら、真剣にその文章を読み、少しでも疑問があると、赤ペンで線を引き、すぐに「君これはどういうことかね?」と次々と質問してこられたのです。

私はその真剣な姿に驚きました。

普通、偉い方は役職につく時も、多分名前を貸すだけでほとんど実際に活動いただくことはないと思います。

そしえ先生は聞かれました。「ところで君、富士山はいつ世界遺産になるのかね?」と。

私はとっさに、どう答えようか迷いました。多分10年はかかるだろうと推測はしていたのですが、85歳の先生に対し、10年先のプランなどいえません。

思わず「はい、予定では5年後の2008年です」とやけくそで言ったのを覚えています。

しかし実際には、2008年などは到底できません。毎年、世界遺産登録がどんどんと延びていく報告をしながら、申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、2013年になんとか富士山は世界遺産に登録されました。

このとき帝国ホテルで、700人ほどの関係者の方々をお呼びして祝賀会を催したのですが、その時も中曽根先生にご臨席賜り、素晴らしい祝辞をいただきました。

当時先生は95歳でしたから、私としても「間に合ってよかったなあ!」と胸を撫で下ろしたものです。

これはほとんどの人が知らないのですが、富士山の世界遺産登録に対して中曽根先生は、本当に様々な方面でご尽力いただきました。

私自身が困難に直面し、様々なお願いをしたときも「わかった」と一言いって、すべて解決してくださいました。

また、私が驚いたのは、いろいろな会で中曽根先生にご挨拶をしていただく際に、まことに失礼ながら「中曽根先生、大変恐縮ですが、○○と△△と□□と××と◎◎の5点を話の中に盛り込んでいただけませんでしょうか?」とお願いをすると、その度「わかった」といって、当日全く原稿を見ずに、完璧にお話をされたのです。

私は、先生の頭の中は一体どうなっているのだろうと思ったものです。

中曽根先生は、日本が世界の中で最も経済的に輝いていた時代を引っ張っていかれた偉大な政治家です。先生は今の日本をみてどのようにお感じになりながらこの世に別れを告げられたのだろうかと思います。

これからの日本が未来の世界の中で、少しでもよき国になることを念願しつつ、そのために自分もこれから100歳までまだまだ頑張ろうと改めて思います。

中曽根先生、本当にありがとうございました。どうぞゆっくりお休みください。