伊勢神宮と相撲のルーツ

みなさん、お元気ですか。

昨日と今日は伊勢神宮ツアーです。
さて、この写真は「猿田彦神社」の社殿の前でとったものですが、みなさん猿田彦という神様はご存知でしょうか?

この猿田彦という神様はどんな神様かというと、あの日本の主宰、神天照大神のお孫さんの天孫瓊瓊杵尊(てんそんににぎのみこと)が、出雲で日本を統治していた大国主尊(おおくにぬしのみこと)に「国を譲りなさい!」と命じに行ったときに、瓊瓊杵尊を警護して行った神様です。ですから「道開きの神様」といわれています。

このとき、瓊瓊杵尊と大国主命の間でこんなやりとりがありました。
「お互い力の強い戦士同士が戦って、勝ったほうが大和国を治めよう」ということになったのです。
そこで、瓊瓊杵尊側からは武甕槌神(たけみかづちのかみ)という勇猛な神様が出て、大国主側からは大国主の息子の建御名方神(たけみなかたのかみ)が出て来ました。
そして二人ががっぷり組んで戦うのですが、勝敗は建御名方神の圧勝で、大国主は瓊瓊杵尊に大和国を譲ることになったのです。

実はこれが相撲の始まりなのですね。
もちろん格闘技としては、後の野見宿禰(のみのすくね)というのが相撲の始祖になっているのですが、その元の元がこの「国譲りの神話」なのです。

実はここで非常に面白いのは、負けた方の建御名方神は、腕をひきちぎられ、なんと長野の諏訪まで吹っ飛ばされてしまいます。
ところがこの建御名方神はこの諏訪で諏訪大社というところで神として祀られているのです。
勝った神様ならわかりますが、負けた神様が祀られるというのはどういうことでしょうか?

これこそが日本の神道観なのです。

よく相撲でもなんでも「名勝負」というものがありますが、これってよくよく考えてみると、勝った力士と同時に負けた力士が素晴らしい働きをしたので「名勝負」になったわけで、もし負けた方がへぼかったら、名勝負は決してうまれないわけです。

だから例え相撲において負けても勝っても相手に対する「礼の精神」が非常に重要になってくるわけですね。
今回の日馬富士の問題の前には、朝青龍の様々な事件がありましたし、横綱としての品格ということがしばしばとりあげられました。

貴乃花という人は、父親の貴乃花そして叔父の若乃花の厳格な相撲道をみていて、モンゴルの日本精神を無視した振る舞いが許せなかったのだろうと思います。

ただ、貴乃花のやり方が、多くの人の共感を得られるかどうかは別ですが・・・・。
僕はプロレスも,柔道も、K-1も総合格闘技も大好きですが、この中で相撲というものはただ単に強さを求めればいいというものではなく、ある意味「神事」だと思っています。

その意味ではやはりただ殴り合って相手を倒すという格闘技とは違う別の精神性が必要になってくるのだろうと思います。
日本の国技である相撲が、今回の事件で汚れ見捨てられていかないよう、なんとか収束して、またワクワクする相撲を展開してほしいなあと願っています。

最近はあまり両国に行くことはありませんが、昔は時々相撲を観に行きました。あの小さな若乃花が巨漢の曙をぶん投げた相撲など、興奮マックスでしたね。
また近々両国に足を運びたいと思います。

今回の伊勢神宮ツアーも、日本国中極寒の中、空は晴れ上がり、空気も清浄で、まさに「心のみそぎ・はらい」で参加されたみなさま本当に素晴らしい体験をされたようです。

次回は1月に行く予定です。
それではみなさん、明日もよき1日を!

ごきげんよう!