李登輝総統の懐刀

正月の三日目になって、なんだか年頭に言っていた感覚がすでにずれて来始めました。
今年のはじめから「今年は還暦です。あかいちゃんちゃんこです!」などと言って、あたかも「随分生きて来たぞ!」風を吹かしまくっていたのですが、今日台湾で3人のスーパーご老人(?)とお話をして、頭の中がぐらぐらであります。

まず第一にお会いしたのは、台湾日本交流協会の会長で、あの李登輝総統の懐刀である彭榮次(ほうえいじ)先生(83歳)との会見でありました。

僕にとっては非常に興味深い話でしたが、歴史に興味にのない方にはつまらないかもしれません。ごめんなさい。
でも台湾は日本にとってとても大切な友人であり、非常に微妙な立場にある国ですから、是非みなさんなりに心を寄せていただければと思います。

この彭先生は二年前に日本から大変な勲章を受章された方で、とにかく日本と台湾との関係深化のために生涯をかけられた方であります。

御生れは昭和10年ですから、終戦のときには10歳であったそうです。それから学校を出て銀行に入り、そして李登輝総統に請われて日台の架け橋になってから獅子奮迅の働きをされるのですが、終戦から今日までの体験的歴史を2時間半、淀みなく話をされたのです。

この中で私が驚いたのは、とにかく時系列や人の固有名詞が全く不明確さもなく次から次へと出てきたことです。
日本の政治情勢でも、日本人の僕でさえ、「あれって何年だったかな?」と思うようなことが、実に正確にお話になったのです。それも自分の実体験として。
まさに「生き字引」です。

興味深い話が次から次へと飛び出してきたので、いくつか紹介したいと思います。

一つは歴史の綾についてです。
彭先生は
「今の台湾が台湾として残っているのは、1950年にあの朝鮮戦争があったからだ」とおっっしゃるのです。
「なぜ?」
その心は!

それはもともと毛沢東率いる中国共産党は台湾を攻めるつもりでいたのです。それに対しソ連のスターリンが「いや台湾よりもまず韓国をすべて共産化するのが先決だ!」というわけです。そこで中国は「それもそうか」ということで、あのロケットマン金正恩のおじいさんである金日成を応援するのです。そこで金日成は一旦朝鮮半島すべてを支配し釜山までを統一します。

それまで「朝鮮半島は放っておいてもいいや!」と思っていたアメリカのトルーマンは、金日成がソウルで残虐行為を働いているのを見て、「これはいかん」となり、マッカーサーがリーダーとして38度線まで押し返すのです。

このときアメリカは、「アジアを共産化させてはならぬ。台湾も防衛ラインにいれなければならない」と思い、第七艦隊を台湾海峡に派遣することを決意し、中国は台湾を軍事制圧することを諦めたのです。

つまりこれは歴史のパラドクスなのですが、スターリンが朝鮮戦争を主張したために台湾は救われたというのです。
いわれてみれば「なるほどなあ」と思いました。僕は今歴史を勉強していますが、それこそ「瓢箪から駒」のような話があちらこちらにあります。

二つ目に、なるほどなあと思ったのは、毛沢東ひきいる中華人民共和国が国連の常任理事国にはいるときに、蒋介石率いる中華民国(台湾)は、国連において議席を保持することも可能であったのです。しかし蒋介石はそれを蹴っ飛ばし、国連を脱退します。

もし台湾があのとき国連で議席を確保していたら、今のように台湾は中国の脅威にさらされなかっただろうということです。
その時のリーダーの決断によってそれから後々の大問題が生まれてくるのです。

心の中で「政治なんて誰がやってもあんまりかわらんだろう!」とたかをくくっている人も多いかもしれませんが、実はそんなことは全くありません。
もし愚昧なリーダーが変な決断をしたら、未来に大きな禍根を残すのです。

彭先生は日本の政治情勢に対しても深く精通しておられました。
昨年日本の中で小池百合子東京都知事をめぐる、ジェットコースターのような期待と失望の大混乱をみていてポピュリズムの宿痾を見るとおっしゃっていました。

僕もまさにその通りだとおもいます。それこそ昨年の政治は小池氏の「排除」発言で急転回したわけですが、政治がたかだか「一言」でひっくり返ってしまう危うさはいうまでもありません。

これからの日本と台湾の関係についてお話を聞きましたが、とにかくあの蒋介石時代に激しい「反日教育」がほどこされたにも関わらず、今でも台湾の人たちは日本が大好きです。
それはこれまた逆説的ですが、蒋介石率いる国民党が、日本統治時代よりもひどい支配を台湾の国民にしたからです。

日本と台湾はそんな中でも、着々と交流を続けていきましたが、そこがブツッと断絶したのが田中角栄による1972年の「日中国交回復」です。ここで日本は台湾と国交を断絶してしまいます。

これは台湾の人たちから見たらまさに「日本による裏切り」に映ったようです。
しかし当時石原慎太郎氏や渡辺みちお氏などによって結成されていた「青嵐会」が日本と台湾の架け橋となっていったのです。

李登輝総統時代に彭先生は日本との架け橋となり、それそこ百花繚乱の交流が日台で繰り広げられました。
彭先生が危惧するのは、今の台湾の蔡英文政権においては、日本との絆を深めていく取り組みが全くみられないということです

「日本と台湾の関係は良好だから、特別に何かをする必要もない」とあぐらをかいていると、それはすぐに風化し劣化していくということです。
やはり普段の努力が良き関係を維持していくということを繰り返しおっしゃっていました。
彭先生は台湾の未来に対しても、もっともっとしたたかに中国とつきあう交渉力ももたねばならないということをなんどもおっしゃっていました。

最初1時間という会談の時間は、どんどんと話しが進み2時間半におよびました。彭先生は日本に年に二回おいでになるそうですから、今度は僕がお招きしてまたいろいろ話しをしたいと思いました。

昼の会談で驚き、夜は夜でまた驚きでした。これ以上書くと長すぎるので(すでに長すぎですが・・・・)、明日書きます。

というわけで今日も1日良き1日を!

ごきげんよう!