「栗城史多君エベレストに死す」

久しぶりにブログを書きます。昨日驚きの情報を知りました。それは私の友人の登山家の栗城史多君が8回目のエベレスト登頂を目指しながら、7400メートル地点で力つき帰らぬ人となりました。

栗城君はいまから10年ほど前に北海道で「面白い青年がいるから」ということで紹介されました。

「単独、無酸素」で登山をしながら自分の登山風景を画像で配信していくという、世界でも唯一の特殊な登山家でした。

私とはこの10年間いろいろとつきあい、彼はアクティブも受講してくれたり、また一緒に講演したり、また彼の友人たちを20人ほど連れて伊勢神宮ツアーにいったりと、楽しい時を過ごしました。

そして栗城君から今年こんな依頼がきたのです。

「実は僕は山に登るとき、頂上をアタックするときには、必ずベートーベンの第九を聞くのです。今度の5月にエベレストの登頂に成功したら、エベレスト登頂の映像を流しながら、第九のコンサートをしたいのですが、ぜひお願いできないでしょうか?」

僕は第九を指揮するなどというのは今までやったことはありませんが、栗城君の試みはおもしろそうだと思い快諾しました。

それから何回もミーティングを重ね、11月20日にオペラシティで「エベレスト第九」を開催することになりました。

栗城君が今回エベレストに行くにあたって、今回こそは成功すると僕も確信していました。なぜならいままでは栗城君がエベレストに挑戦したのは天候が非常に荒れる秋だったからであり、春は比較的天候は穏やかでこれは成功の可能性が非常に高かったからです。

栗城君は今回も映像を配信してくれていましたが、途中で体調があまりよくない状況を送ってきていたので、無理をしなければいいがと思っていました。

栗城君は体調が戻ったということで再度登頂に向かってアタックし始めました。

栗城君が今回出発する前に「栗城君、今回絶対成功してほしいとは思っているけれど、決して無理しないでね。もし君に万が一のことがあって『追悼コンサート』になったら嫌だからね」と冗談をいっていたのですが、そのときも栗城君は「よくわかっています。僕はたとえ頂上があと10メートルに迫った場所でも無理と思ったら、下山する勇気はもっているつもりです」と語っていたので、僕は安心していました。

彼の訃報を聞いて、非常にショックを受けました。昔から登山家といいながら何か風のような飄々としたところがあり、心が透明で純粋な青年でした。

世間では彼のことを「無理なことをしている」とか「栗城は登山家ではなく下山家だ」とか「登山をダシにして講演をやりまくっている」とか心ないことをいう人も少なからずいます。しかしまた彼は本当に多くの人に愛される存在でした。

彼は自らの死に直面して何を感じていたのでしょうか?今となっては其瞬間に彼の心が穏やかであったことを祈ります。

彼は昔僕のラジオにでてくれたときにこんなことを話ていました。

僕は「栗城君がエベレスト登頂に成功したら、それからの人生は何を目指していきるの?」と聞いたら「世の中の人はすべてそれぞれが目に見えない山に登っていると思います。僕はみなさんが山に登っていくことの応援者になっていきたいと思います」と言った言葉がいまでも心に残っています。

栗城君の肉体はなくなってしまいました。しかし彼の魂は今もそこにあってきっと我々にエールを送ってくれると思います。

今も僕の脳裏には栗城君の爽やかな笑顔が浮かんできます。

僕も久しぶりにショックを受けましたが、今は彼の冥福を心から祈るばかりです。

久しぶりのブログでしたが、書かずにいられない気分になり書きました。

どうぞみなさんもお身体大切に。

ごきげんよう。