あけましておめでとうございます。
昨年は大変お世話になりありがとうございました。
今年もよろしくお願いいたします。

31日は何をしていたかというと、実家から帰り、そして僕の卓球のライバルの麓(ふもと)さんと、がんがんに3時間卓球をして、その後家に帰り年越しをしたのであります。

渋谷のこじゃれた「卓球クラブ」で、本格的な卓球ウエアに身をつつみ、汗だくだくで真剣勝負をしているのは我々おっさんだけで、あとの若者たちは、カップルや友達同士で「はーい」「そーれ」と楽しそうにやっているのでありました。

家に帰り紅白を見た後、恒例のジルベスターコンサートを観て、近くの小石川大神宮に初詣にいきました。
今年は犬年ですが、まさに僕は歳男!しかも還暦赤いちゃんちゃんこであります。

昔なら定年ですね。最近は定年は65歳に延びたようですが、まあそれも誤差のうちです。
僕には定年はないのですが、なぜだが最近「定年本」というものをよく読みます
その内容は「ぼやぼやしてたら、定年後悲惨になるよ!」というものがほとんどですが、中には「そんなもん、いくら準備したって、なるようになるのさ!」という適当なものまでいろいろあります。

なんとなく僕と同世代の人達がどんな心理状況なのか知りたいというという無意識でしょうか、結構定年本というものを読んでいます。
こんなもの読んだところで僕の人生にはほとんど役に立たないのですが、いろいろと感じるものはあります。

最近はライフシフトなどといって100歳まで人類は生きなければならないということがいわれていますが、それも突然何十年がくるわけではありません。
そして人の人生というのは全くわからないものです。

昨日タクシーの運転手さんと四方山話をしていたら、その運転手さんが「いやあ今年(去年のこと)驚いたのは、53歳の兄が11月にぱたっと死んだことです。本当に人の死というものはわかりませんね」としみじみと言っていたのです。

昔平安の歌人として有名な在原業平(ありわらのなりひら)が、「ついに行く道とはかねて聞きしかど 昨日今日とは思わざりしを」という歌を残しています。

大体人というのは死亡率100%ですが、それでも自分の死を本当にリアルに感じることはありません。
また人とのつながりといっても、「出会いは別れのはじめ」なのですが、それはどこでどう断ち切られるかわかりません。
僕がいつも思うのは、誰かと別れる時、毎回「これが最後の出会いだ」と思って会っているような気がします。

「じゃあまたね」といいながら、その「またね」は来るかどうかはわかりません。百回出会っていても、それぞれは一回が100回あったということなのだろうと思うのです。

今年の正月は、私の母が、「施設に入っている父親を一旦家に帰して、僕と三人でご飯を食べたい」ということを、しきりにいうので、急遽施設のスタッフの人に頼んで、父親を家に帰すことにしました。

多分三人で正月を一緒に過すのは、これが最後になるだろうと思うのです。
二人とも90歳を超えていますからね。

今年はどんな出会いがあるのやら?
今年はどんな別れがあるのやら?
とにかく自分としては、自分の心に正直にできることを精一杯やっていきたいと思っています。

今年があなたにとって素晴らしい年になることを祈っています。

今日も良き1日を!

ごきげんよう!