日本の銭湯文化の奥深さ

7日間の台湾年頭研修の旅も最終日!
今日は馬岡さんにつれられて、なんと今から80年以上前の日本の統治時代に作られた銭湯にいってきました。台北から車で20分くらいのところにある温泉で、いわゆる「銭湯」なのですね。

台湾には一般的な公衆浴場という概念があまりありません。
もちろん中国大陸でも豊島園かと見間違うような巨大なスパはありますが、こういうところはみんな水着を着てプールのような感覚で入ります。

ですから日本のようないわゆる「コミュニティ」としての銭湯という文化はほとんど世界にありません。
僕もいろいろ調べてみたのですが、フィンランドのサウナ文化というものが若干似ているような風情があるのですが、銭湯というのは日本独特の文化ですね。

建物も古く、この銭湯がいわゆる昭和の初期からあったかと思うと感慨深いものがありました。
実は昭和9年に皇太子時代の昭和天皇がこの温泉地においでになっていて、この敷地内に昭和天皇が来られた記念の石碑が立っています。

僕が浸かった湯船は二つあるのですが、一つの湯の温度が43度と熱めで、もう一つの湯船はなんと46度であります。

「こんなもんやけどするがな!」と思っていたのですが、台湾の人たちは平気で入っているので、僕も「えいや」というか、おそるおそるというか入ってみたのですが、意外と入れるものですね。

しばらく浸かっていたら、汗が吹き出して、脱衣所にいってからもしばらく汗だくだくでした。
この湯船に昭和天皇がお入りになったかどうかは定かではありませんが、面白い体験でした。

銭湯文化というものは、今はスパ文化へと発展し総合レジャー施設として発展していっていますが、いわゆる銭湯文化は江戸時代に庶民の中で根付いたものです。

皆さんご存知のように、銭湯では昔からよく富士山の絵が描かれています。
これはただ単に「いい景色」だから書いていたわけではなく、その真意というのはこうでした。

富士山は霊山であり、昔から富士山から湧き出てきている水に浸かると体が清められると考えられてきました。
その霊水がその銭湯にまで流れてきて体が清められ、そして魂が復活するのだという意味で富士山の絵がしばしば描かれていたわけですね。

ですから日本でいう風呂文化というのは単に体の垢をおとすということではなくて、「魂と体のいやし」「みそぎ」そして人々の間での心の交流という意味をもっていたのです。
こういう風に知ってみると、まだまだ知らないことがたくさんあるということを痛感します。

今回の台湾の旅でもいろいろ思い出深い人々との交流がありました。
そして最後のランチは、昨年の台湾旅行で大変お世話になった片倉佳史さんと四川料理をいただきました。
相変わらず片倉さんの話は爆裂トークで、僕としては興味津々、またまた「録音しとけばよかった!」と後悔していたのであります。

というわけで楽しい台湾年初の旅を終え一路羽田へと向かった僕なのでありました。
「今年も頑張ろう!」

というわけで今日も1日良き1日に!

ごきげんよう!