12と10の最小公倍数

今日は今年初めての易学講座でした。今年は戌年ですが、厳密には戊戌(ぼじゅつ)の年です。

よく干支といって「今年の干支は戌年!」という言い方をするのですが、本当は「十干十二支(じゅっかんじゅうにし)といって、「子丑寅卯・・・・」という十二支と、「甲乙丙丁戊・・・・・」という十干の融合なのです。

ですから「甲子園」というのは、これが建設されたのが「甲」の年であり、また同時に「子」の年にできたのでこの名前がついているのです。
ということは次甲子という年がめぐってくるのは、12と10の最小公倍数である60年目ということですね。

ですから、この60年という節目が、自分が生まれたまさにその年に巡ってくるということですから、「赤いちゃんちゃんこ」を着るという話になるわけです。

僕は今年年男なわけですが、神社などにいくと昭和33年生まれは「厄年」なんて書かれていて「厄払いはこちら」などと宣伝されています。

人間「今年あんたは厄年だよ!」なんていわれたら、気分悪いですね。
その厄を払うご祈祷料などというものも結構高いようです。まあこれは神社のマーケテティング戦略のようなもので、60年も生きたら、あとはおまけみたいなものですから、本当は何があっても特段どおっていうことはないわけです。

それからすべては気分の持ちようで、もし厄年のときに、道でころんだら「やっぱり厄年だからだ!」と思うでしょうし、ちょっとでも人間関係がおかしくなったら「厄年のせいだ!」と心の中で大騒ぎしてしまいます。

まあ人間生きていたら、どんなときにも、人間関係がおかしくなることもありますし、病気になることもあるでしょう。
でもそれと「厄年」なんということも全く関係ありません。

正月早々縁起でもないのですが、僕の両親は今年で91です。状況を見ていたら、日々体も弱っていて、やっぱり今年死んでもおかしくない様子なのです。
仮にそうなったとして、じゃあこれが僕にとって「厄年」だからそうなったなどということは全くありません。
僕は両親が生きている間にできる限りのことはしようと心に決めていて、毎日三回電話をします。滋賀にはなんとか一ヶ月に一回は帰ります。
そして両親に「何かしてほしいことはないか?」と毎日聞いています。本人たちは日々日々「ありがとうありがとうありがとうありがとう」を連発して、こちらが何かしようと思っても「なああんもない、ここまで生きられて満足満足」と言っていますから、僕としてもこれ以上どうしようもありません。

ただ一つ、僕が心にひっかかるのは、何とか両親に顔をみせたいと頑張って、僕が大阪にいく道中、30分の短い時間でも両親の顔を見に帰ると、母の心にはどう映っているかというと、僕が「家に帰った」ということよりも「30分でまたすぐに出て行ってしまった」ということが心に残るようで「あんたは30分でパーッと帰ってしまう」と僕に言うし、また他人にも「息子は帰っても30分ですぐにどっかにいってしまう!」ということを平気でいうのですから、僕としては、骨折り損のくたびれ儲けになり、「感謝もされないのであれば、無理して帰らんわい」と思いつつ、しかし僕の顔みることが人生唯一の楽しみである両親の願いを叶えていきたいという思いに揺れ動いているハムレットの心境のような今日この頃なのであります。
(文章長っ!)

まあ家に帰るときには、できる限り話をして満足させてあげたいと思っておりますです。
てなわけで明日は福岡に研修にいってきます。

なんだか西日本は大雪で大変なことになっていますが、どうなることやら。

今日も良き1日を!

ごきげんよう!