今僕は伊勢に向かう途中の新幹線に乗っています。
昨日は、久しぶりに、東京で40人ほどの経営者の方々に「松下幸之助の経営哲学」というお題でお話してきました。
僕が講演を始めた30年前はまだ松下翁は存命でしたから、講演の内容として「松下幸之助の話をしてください!」という依頼とても多かったのですが、最近はめっきり少なくなりました。
いくら経営の神様といっても、亡くなってから30年以上が経過しています。
今、大学生や高校生に「松下幸之助って知ってる?」と聞いたら、大抵「誰?」と言うと思います。
昔は「松下電器」や「ナショナル」で有名でしたが、今は「パナソニック」という名前になり、「松下」の面影がなくなってしまったのです。
その昔、松下翁と京都の大覚寺の立花大亀(たちばなだいき)和尚との間でこんな問答がありました。
「老師、禅の未来はどうなりますか?」と松下翁が聞いたところ、老師は「そりゃ自然消滅ですわ」と答えたのです。
これを聞いて松下翁は、「あんさんは禅を世の中に広めようと思っておられるのに、未来が自然消滅だとしたら、やる気が出んのと違いますか?」とさらに聞きました。
そうしたら、老師は「やる気が出るかどうかはわからんけんど、自然消滅は自然消滅ですから、まあそういうもんですな」とあっけらかんと答えました。
これを聞いて松下翁は、「ということは、松下電器もやがては自然消滅でっか?」と聞いて、また老師は「まあそういうことですな」と言って二人はケラケラと笑い合ったのです。
なんとも含蓄深い光景ではありませんか?
僕たちは毎日「こうあるべきだ」「ああでなければならない」と色々と考えますが、実際には「時の流れの大河」の中では、すべては飲み込まれ、無限に変化していきます。
そう思うと僕たちがいろいろなことにこだわっているのがバカらしくなるということもあるかもしれません。
他人に悪感情を抱いたとしても、それを抱いているあなたも、また相手もやがては綺麗さっぱりなくなっていきます。
もっと言うと、この地球もあと45億年すれば太陽に飲み込まれてなくなってしまいます。
なんとも不思議ではありませんか?
僕はこういう考えが好きです。あまり「あなたが夢を真剣に思い描けば必ず成功する!」という類の考えは、どこかに無理があるような気がしてならないのです。
人生を振り返ってみると、もちろん自分が努力をすることは当たり前ですが、それよりも「誰かとの出会い」や「運」、そういうものが人生の大きな要素を占めているように思うのです。
松下翁は、「常に志をいだきつつ懸命になすべきをなすならば、いかなる困難に出会うとも道は必ずひらけてくる。成功の要諦は成功するまで続けることになる」ということをしばしば語りながら、90歳になったときに「人生いろいろあったけれど、ふと振り返ってみるとすべてこうなるように決められていたような気がする」としみじみと語っておられます。
皆さん、「まぁ人生いろいろあらぁな!」ということですが、でも後で振り返れば、すべて私たちの人生の中で、なんらかの意味があることだということに気がつくのではないでしょうか。
僕は今、伊勢神宮に行く道すがらなのですが、それこそこれもまた人生の中で不思議なご縁が折り重なり、毎年何回も皆さんと伊勢にご一緒するようになったのです。(次回は12月5日です)
というわけで、自分の人生において、「すばらしい結果」が出るように、自分なりに最前を尽くしつつ、また同時にその結果については「なるようになる」と達観していることが人生の中でとてもとても大切なことだと思うのです。
いかがでしょうか。
それでは今日も良き1日を!
ごきげんよう!