古教、心を照らす 心、古教を照らす

みなさんは「古教(こきょう)、心を照らす 心、古教を照らす」という意味をご存知でしょうか。

この言葉は、アクティブの読書法コースでもお伝えする言葉です。

「古教」というのは、「とっても素晴らしい教え」「とっても素晴らしい本」という意味になるですが、「良い本」を読むと、心が晴れやかになったり、ためになったり、人生のために役に立ったりということが起きますね。

ですから「古教が心を照らす」というのは、「まあそうだなあ」と思います。

でも「心が古教を照らす」とは一体どういうこと?

この言葉は、昔の偉い坊さんで「虎関師錬(こかんしれん)」という人が言った言葉だそうですが、要するに僕たちが、その本を読んで「ほーーーーーー!!!!」と感動しているときに、その本もまた私たちから照らし出されているということなのです。

ですから反対に、ここにどんなに素晴らしい本があっても、それを読む人がいなかったら、その本は全く意味がないわけです。

僕はアラビア語が全く読めませんので、ここにアラビア語で書かれた素晴らしい書物があったとしても、それは僕にとっては単なる紙の塊以外の何物でもありません。

ですから、それが「本」であっても「スポーツ」であっても「音楽」であっても「絵画」であっても、あるいはもっというと「自然界」であっても、そして「仕事」であっても、とにかくあなたが「感動」を得ている瞬間に、あなたは「そのもの」を照らし出しているというわけです。

ということは、日々、いっぱいいっぱいいろんなことに感動している人は、周りを照らし出している人だということなるわけですね。

もしも、もしも、もしも、もしもこのブログを毎回読んでもらって少しでも、「あっ!」と何かの発見などがあったら、まぎれもなくあなたによって僕は照らし出されているわけです。

最近、やけに世の中が明るいなあと思っていたら、このブログのせいだったのか!

というわけで今日もいろいろお互い感動しようではありませんか。

それではみなさん、ごきげんよう!