一生で一番長く付き合うのは

今日は九州の会社の方々を対象にした研修でした。
そして5日間の出張を終わり、このブログは、福岡から東京に戻る飛行機の中で書いています。

今日も研修の後、空港近くのスーパー銭湯でひとっ風呂浴び、空港内のマッサージ店で『足裏マッサージ』をして、保安検査場を出た後、ふいと見たら、「シラスクジラ」という居酒屋があったので、そこで一杯ひっかけてきました。

こんな話は他人からみたらどうでもいいような話なのですが、ふと考えると、よく人から「そんだけ飛び歩いていて疲れませんか?」という質問を受けます。

確かに疲れます。
でも考えてみると、疲れ果てて家に帰ることはほとんどないなあと思うのです。
それは、自分の人生の中で、疲れを家に持ち帰らないということを自分自身の生活のリズムに取り入れているからだと思います。

僕は人と飲みに行く付き合いについては、二次会というものにはほとんど行ったことがありません。
20代前半のときに、酒の飲み方がわからなくて、酩酊し駅でゲロゲロやったという記憶(その時もちゃんと記憶はありました!)以外、酔っ払ったということはまずありません。
なぜなら、夜遅くまで飲むと具合が悪くなることを知っているからです。

多分食べ物も無意識に節制していると思うのです。
また少し食べ過ぎたなと思ったら、帰り1時間くらい平気で歩いて帰ります。
という具合に、かなり自動的に体を一定のレベルに保つようになっていると思うのです。

このことは今思えば、とても良かったなあと思います。
大体移動するだけで疲れます。今までそれこそどれだけ飛行機や新幹線で移動したかわかりません。

高速で移動すると体にかなりのGがかかりますし、飛行機だと気圧の関係で耳が痛くなったり、足がむくんだりします。
だからこそケアが必要なのだろうと思います。
僕の場合、毎日人前にたちますから、疲れた顔をできません。

ましてや「今日は具合が悪いので休みます」とは決して言えません。
もちろんここまでこれたのは、いろいろな人さまのおかげと運のおかげとしかいいようがないのですが、しかし僕自身もいささか体をいたわったことも少しは良いように働いたと思います。

僕はこんなことを思います。もし死んでも魂があるとしたら、多分肉体がないぶんかなり楽だろうなあと。
肉体をもっているということは本当に大変です。肉体は思うようには動きませんし、どんなに頑張っても必ず時の流れの中で老いていきます。

僕がアクティブの講師に「最近歳だなあ!」と言ったら、彼らから「先生、『歳とった』なんていうマイナスの言葉を言ってはいけません!」とたしなめられます。

僕は「はいはい」とは言いますが、でも確実に人は歳をとるのです。そして体のそこかしこにガタがくるものです。
それはそれで仕方がないことなのですが、それでもそこで体をいたわって使うと、いい形で歳をとることができるのです。

僕は来年60歳になりますが、いろんな人たちを見ていて思うのは、若い時にやっぱり無茶をしていた人は50歳、60歳を過ぎてからかなり厳しい状況になるなあということです。

僕たちはいろいろな人と付き合います。もちろん親とも、それから配偶者とも、それから子供とも、そして友達や仕事関係の人とも付き合います。

しかし、一番長くつきあい、しかも絶対に途中で「もうおまえとはつきあいやめた!」といえないのが、「自分の体」です。
もし僕たちが「お前とのつきあいをやめる!」というときは、自分自身が亡くなるときです。

その意味では、自分自身との一番の相棒である自分の肉体をいたわってあげるというのは、とても大切なことだなあということを最近つくづく思うのでした。
こんなことを思うという事自身が、僕が「じじい」の領域に入ってきている証ですね。
まあ憎まれっ子世にはばかるといいますから、そこそこ長生きするかな。
でも「善人は早死にする」としたら・・・・・。

みなさんはどんな方法で自分の体をいたわっていますか?

というわけでこれからも僕と長いおつきあいをお願いしますね。

それでは明日もよい1日に!

ごきげんよう!