台湾の歴史とつながりを学ぶ

今台湾に来ています。
「小田全宏先生と行く特別台湾ツアー」なんてタイトルでしたが、これはあくまでも「僕と一緒に行く」という単なる看板以外の意味はなく、僕は今回ほとんど「お客さん状態」です。

今回の台湾旅行は、台湾でアクティブをどんどん広めてくださっている馬岡さんがあらゆる企画をしてくださったのですが、4日間のナビゲートをしてくれるのは、台湾研究第一人者の片倉佳史さんです。

彼は台湾歴20年、それこそ台湾のすみからすみまで歩き回り、今では台湾関係の著書は40冊を超え、その博覧強記ぶりには「びっくりポン」です。

いつも片倉さんと食事をすると、このおしゃべりの僕がほとんど話をする暇もなく、弾丸のように話し続けられます。
しかもその話が面白すぎる。毎回「えええええ!!!」のオンパレードで今回も1日目から、面白話が炸裂です。

ですから、普通の台湾旅行をイメージしてくると最初から「日本と台湾がっつり話」から入りますから、みんなついて行くのが大変です。

多分僕たちは台湾といえば、「グルメ」以外はよく知らないのではないでしょうか?
実は、日本と台湾の間には、長い長い歴史があり、台湾の人たちは日本のことが大好きなのです。

そして今でも「日本精神(リップンチェンチン)」といって日本の「道徳心」を大切にしています。
台湾に行くたびに日本と台湾の絆を深く感じます。

実は日本と台湾の歴史は、いつから始まったかというと、豊臣秀吉が朝鮮出兵をしたときに、ついでに台湾にも使者を送ったというところです。

ところが使者が秀吉の親書を台湾に持っていったところ、台湾では原住民がいろいろな部族に分かれているだけで、誰に親書を渡していいかわからず、そのまま帰ってきたというのです。
こんな歴史について、ほとんどの日本人は知りません。

台湾と日本が国際的に遭遇したのは、やはり日清戦争のあと日本が清国から台湾を割譲されたのがはじめですね。

でもその時の台湾ときたら、いろいろな部族が集まっているだけでさしたる産業もなく、なおかつマラリアが蔓延していて、とても日本が得になるという代物ではなかったのです。

そこで日本は必死になって台湾を開発していったのですが、そのとき日本は四つの大方針を立てました。
「治安の大改革」
「教育の大改革」
「衛生環境の向上」
「大調査事業」
この四つを実行しながら、30年で台湾を近代国家にしてしまったのです。

今も台湾総督府の建物が残っていますが、これは日本人の後藤新平が建設したものです。
台湾は日本と同じで地震が多いのですが、どんな地震にでも耐えられるような堅牢な建物を建てたのです。

都市を建設し、道路を造り、鉄道を敷設し、教育を普及し、産業を起こす。
まさに台湾は植民地ではなくて、日本そのものだったのです。

実は朝鮮半島に対しても、日本は台湾と同じく頑張って国家経営をしたのですが、なぜこんなにも日本に対する国民感情が違うのか、それはまた今度お話ししましょう。

いずれにしても、今回のように気のおけない仲間たちとワイワイやりながら旅をするというのは最高ですね。
それにしても片倉さんの「爆裂講義!」は一見一聴の価値あり。
今後機会があったら一度聞かれたらいいですよ。

というわけで台湾の夜もまたまた美味しい料理に舌鼓で、「このままでは体重が大変なことになってしまう」という危惧を抱きつつ、それでもありがたくお腹いっぱいいただき、そのあとはお決まりの台湾マッサージで体のメンテをしました。

明日は台湾と日本の架け橋となった「八田與一(はったよいち)」に会いに台南にいきます。
それにしても、台湾は29度。その暑さにびっくりしました。

みなさんもお元気で、今日もよき1日に!