泰然と受け止める

今日は東京で仕事をして、彦根の家に帰り、そして大阪で講演でした。

今日の講演では「人生を切り開くセルフ・コンセプト」という話をしようと思っていたのですが、ところがそれが話始めたら、日本歴史の話になり、それこそヤメラレナイ止まらない状態に陥ってしまって、結局2時間ずわーと歴史をお話することになってしまいました。
今日私がお話したことは三つです。一つは歴史をみると、それこそすべてのものが、一つの織物のように折り重なっていて、一つ一つ単独では決して見られないということです。
これは私たちの人生も全く一緒で、「ある悲惨な出来事」が「素晴らしい幸運」を引き寄せていたり、また反対に「一つの喜び」が「後の不幸」を作ったりします。

また、ほんの一瞬の出会いが、後の人生を大きく変えるということがあります。
その意味では、私たちの人生に起こることも、いちいち一喜一憂するのではなく、すべて泰然として受け止めればいいのですね。
大体私たちが今悩んでいることなんて、そのほとんどは、一年後には完全に消えて無くなってしまうのですから!
しかし、人生におこる出来事はすべて、私たちにとって必要なある出来事なのです。
そう思うと、どんなできごとでも「さあどんとやってこい!!」という感じになりますから、不思議です。

第二は、歴史を見てみると、「実際に起こった出来事」でも、それを無視していたら、それは「なかったことになる」ということです。
そして反対に、なかったことでも、それが何十回何百回と言われると、「あったこと」になってしまうことになることです。
これは、私たちはちゃんとした事実を知る努力をしなければ、必ず歴史は捻じ曲げられてしまいます。
本当になん百年も昔のことならば、それが322年にあったことなのか、323年にあったことなのかなどという問題は別になんの違いもありません。
しかし、それが現代に続く物語ならば、決して「昔のことだからどうでもいいではないか」とはいえないのです。
なぜって、それをほっておいたら、未来が変わってしまうからです。

第三が、歴史を作った人たちの心を知るということです。歴史の教科書では
「誰々が何々をした」ということしか書いていません。
そこに生きた人がどんな思いでそれを成していたのか、ということは全く触れられません。
でも、その人も「泣いたり」「怒ったり」「笑ったり」「熱意をもったり」「失望したり」「希望をもったり」して生きているのです。
その魂に触れるということなのです。
私たちはそういう魂との交流をするなかで、多分大きな感謝や希望が生まれて来るのだろうと思います。

そんな話をしていたら、あっという間に2時間が過ぎてしまっていいました。
次回はこんなことはないようにしようと決意をしながら、多分次回も「やめらrないとまらない」という状況になってしまうのだろうと思いながら、会場を後にしました。

実は前回の講演のときには、その後の懇親会でとてもおいしい食事があったのですが、私は断食中で全く食べられず、ただただ指を加えていました。
しかし今日は9時半から11時半まで、親の仇のように食べてしまいました。
若干反省し後悔している今日この頃です。

というわけで、明日も新大阪で朝から講演をします。

それではみなさん、ごきげんよう!!