歴史に溶け込む自分

今日の大阪での企業研修は午後でしたので、午前中は一生懸命原稿を書いていました。
僕は家の書斎でじっとして原稿をかくより、どこかわしゃわしゃしているところで書く方が随分と捗る気がします。

パソコンとスマホの電源コンセントがあるレストランで書いているとあっという間に時間がたちます。今日も9時から1時まで新大阪の駅の構内にあるレストランで書いていたのですが、これが実に快適なのです。

実は本音をいいますと、今まで僕はしゃべるのは大好きなのですが、書くのはあまり好きではありませんでした。
一応いままで15冊ほど書いているのですが、毎回「苦痛」とまではいわないまでも、「ふーふー」いいながら書いているのです。
でも今回ばかりは、楽しくて面白くて時を忘れています。
多分心の中で「いい文章をかかなくちゃ!」と思っていないからだろうと思います。
自分の頭の中で疑問が浮かぶ。それを調べる。そこで「ああそうだったのか」と合点がいく。そしてまた『ぴこん』と疑問がわく。それを調べる。そして
「おおなるほど」と納得する。
その連続なのです。実はこの「ジャパンスピリット」の「ラスト」は自分で「こうする」と決めています。
でもそこにいくまでが長いのです。
一応今なんとか1990年代まできました。そうすると今度はどんなことになってきているかというと、江戸時代は当然僕は生きていませんから、すべては勉強なのですが、この数十年は自分の人生に重ね合わせて考えているのです。
「ああ自分が25歳のときにこの事件があったのか!」ということがわかるのです。そうすると時代時代の点と線がつながると同時に、「時代と自分」との交わりが見えてくるのです。
そうするとなんだか自分が歴史の中に溶け込んでいくような、また反対に
自分の中に歴史が吸い込まれていくようなそんな気分になります。

ですから、なんとなく後半の文章は自分自身の歴史の振り返りにもなっていて、興味はまたまた別次元で面白くなっていくのです。
みなさんに早くみてもらいたいと思いつつ、まだまだゴールまでは時間がかかりそうです。
でも今回面白いのは歴史を勉強しながら、自分の今までの人生を振り返っているのですが、意外と記憶が消えていたり、また原因と結果が反対になっていたり、「あっ」と驚くことがいっぱいあります。

よく浄土真宗では「みしらべ」というそうですが、自分の人生をじっと心を潜めてみつめていくと、いろいろな人生のできごとが思い返され、同時にそれらが網の目のように交わっているのがわかり、そこになんとも言えない感謝が生まれてくるというのですが、本当にそうだなあと思います。

歴史を勉強していると、単に自分に直接なにかをしてくれた人のみならず、歴史上のいろいろな無数の人たちが自分たちの人生と社会を支え、がんばれがんばれと応援してくれていることを痛感するのです。
この「ジャパンスピリット」はそんな目に見えない無数の歴史上の応援団を皆さんに紹介できれば幸いです。
というわけで今僕は新幹線で東京へ帰るところです。
 
明日もどうぞ最高の良き日に!
 
それではみなさんごきげんよう!