「人生の卒業式」

先日517日、午後8時私の父小田孝一が老衰のため、92歳で永眠しました。まさに眠るがごとくの大往生でした。

私は仕事柄、親の死目に会えないと思っていましたが、奇跡的に間に合いました。

16日から郷里の滋賀県に帰ったのですが、17日は元々、東京で講演会が入っていました。しかしコロナにより、zoomでの講演会になっていたため、滋賀のホテルから行うことができました。

それが終わって、父の施設に駆けつけたのですが、30分ほど私の目の前でゆっくりと呼吸を繰り返したあと、大きく3回息を吸って静かに亡くなりました。

父はいつも会いに行くと、長く手を握り「サンキュー・サンキュー・ベリーマッチ」となぜだか英語で感謝の言葉を述べ、私が帰る時にはいつも『また来てやー』と言って、施設の玄関先まで車椅子で出てきて、私が見えなくなるまで手を振っていました。

父が3年間過ごした施設の方々には、本当に大事にしてもらって、いつも幸せそうでした。施設のみなさんには、どんなに感謝してもしきれません。

父親は、昔はとても頑迷な性格をしていて、私も辟易するところがあったのですが、晩年は実に仏様のような姿になっていきました。

これまでの父親の人生を振り返ると、戦争体験、戦後復興、高度経済成長と激動の時代を懸命に生きてきた人でした。

家族に対する愛情表現は不器用でしたが、人や仕事に対しては「真面目」「誠実」「正直」を絵に描いたような人でした。

一般的に「死」というものは、「穢れ」を意味しますし、「悲しさ」に覆われるものです。

私も、全く悲しくないといったら嘘になりますが、しかし父の死に際し、父親に対する誇りと、ありがとうという気持ち、子供としての一つの役目を終えたという安堵、そしてみなさんに対する深い感謝の気持ちがふつふつと湧き上がっています。

コロナの状況下ですから、葬儀は家族だけでの密葬としましたが、静かな葬儀の中で、じっくりと父親と語り合うことができました。葬儀が終わり、骨を拾っ後もそんな気持ちが続いていました。

葬儀の帰り、私はふと琵琶湖にいきました。父は生前ヨットマンで、よく琵琶湖でヨットを楽しんでいたからです。

湖岸にいくと、雲間からサーっと太陽の光が湖面にさしてて、実に美しい風景でした。

父は「この風景を見せたかったんや」と天国で得意気に言っているかもしれませんし、今頃三途の川をヨットで渡っているかもしれません。

父の人生の卒業式であり、私にとってもある種の卒業式かもしれません。

改めて、皆さまのご厚情に深く感謝いたします。本当にありがとうございました。

父を見送ったあと、琵琶湖にて。

去年のお正月。ホテルで一緒にごはん。

家で。1歳頃のわたし。