武士道

今日は大阪で「武士道」について講演をしてきました。

武士道というのはご存知の方も多いと思うのですが、日本人の心の中に流れている深い精神のことをさします。

よく「武士道とは死ぬことと見つけたり」とか「武士は名誉のために切腹する」などといわれますが、この武士道が世の中に広まったのはあの新渡戸稲造博士によるのです。
新渡戸博士は明治維新期に札幌農学校で学び、アメリカに留学し、その後教育者として活躍し、東京女子大を作ったり、東京大学の学長になったり、そして国際連盟の事務局次長をやったりと、様々な活躍をします。

新渡戸博士の奥様はメアリーさんという経験なクリスチャンでしたが、メアリーさんがある時聞いたのです。「あなたの国ではどういう宗教教育をおこなっているの?」と。
それに対し、新渡戸博士は「そんなものは特別にはないよ」と答えました。しかしメアリーさんは「そんなバカなことはないわ」とひきさがりません。

新渡戸博士は「困ったなあ」と思ったのですが、その後博士はベルギーに渡ったときにド・ラブレーという法学部の教授から「貴国日本ではどのような宗教に基づいて教育をなさっておられるのですか」とメアリーさんと同じ質問をしたのです。
それに対し新渡戸博士は何も答えられず困ったのですが、そこから10年の歳月をかけて、日本人の心の中にある「武士道」に至ったのです。

武士道というのは、どんなものかというと「仏教」と「神道」と「儒教」を足し合わしてそれをミックスし、武士の中に流れている心の性向が日本人全体にひろがったものだというものです。私たちにとっては本当にあまりにも普通なため意識もしないほど、心の中に根付いているのです。
それは「他人を思いやる気持ち」や「困難に対しても勇気を持って取り組む気持ち」や「名誉を重んじる気持ち」あるいは「礼節をもって人に接する気持ち」さらに「信念をもってことに当たる気持ち」などです。

あの東日本大震災のときに、1万人以上の人たちが犠牲になりましたが、その時世界が驚いたのは、日本人の整然とした振る舞いでした。
大体ああいう災害が起こると、ひどい暴動や略奪あるいは暴行事件が頻発するのですが、日本ではそれがありませんでした。そのことに世界は目を瞠ったのです。
自分も苦しいのに、もっと苦しい人のために手を差し伸べる人たちが後をたちませんでした。
その姿に世界は驚嘆したのです。それは武士道における「仁(じん)」という思いやりの心が発露されてた現れだったのです。
もちろんこういう武士道は最近廃れてきたといえます。しかしまだまだ日本人のD NAの中には深く深く潜航しているのです。

というわけでこれから武士道を含めた日本の心に光を当てていきたいと思います。

今日はミニ歴史講座でした!

明日も大阪です。おやすみなさい!


SPIRIT OF JAPAN