目的と目標の違い

今日は大阪でリーダーシップトレーニングをしたのですが、興味深いのは、ものの考え方一つで、抱えている問題があっという間に解決していくことです。

あたり前のことですが、私もいろいろ「ええええええ!!!」という出来事が日々起こります。
しかしそれも一瞬のことで、たちまちにして「どうしたらよいか?」ということがポンと頭に浮かび、結構その問題解決を楽しんだりできるのです。

いろいろ解決の方法があるので、その一つご紹介しましょう。
それは、問題・課題を解決するときの、「目標」と「目的」をはっきりと分けることです。
実は多くの人たちが「目標」と「目的」を適当に混同して使っていることが少なくありません。

よく聞くのが「目標が最終のゴールで目的がそこにいくまでの手段」という考えや、其の反対の「目的が最終のゴールで目標がそこにいくまでの方法論」という考えです。

もし卓球で活躍している平野美宇選手に「東京オリンピックでのあなたの目的はなんですか?」と聞くのは変ですね。やっぱり「東京オリンピックでのあなたの目標は?」となります。とすると、其の時の目的が、そこにいくまでの方法論というのは無理があります。

答えははっきりしています。
「目標」というのは、それが実現した時の「イメージ」「数値」「実現日時」をさします。

そして「目的」というのは、それが実現した時に得られる「喜びの感情」のことをさします。別の表現を使えば、「なぜそれをするのか?」ということです。
ですから、もし私たちが「目的」を「心の中で感じずに」「目標」をたてると、どうなるかというと、すべて「義務感」になります。
そうすると辛いです。

私は何かするときに、いつもこの「目的」をよくみることにしています。
たとえそれが、誰か別の人から「お願いします」と頼まれたことであったとしても、それを実行する時には、必ず自分なりの「目的」を感じて始めるようにしています。
ですから意外と何をやっても、「やらされ感」というのがないのかもしれません。

かつて私は NPO法人「富士山を世界遺産にする国民会議」の委員長をしていたことがありますが、これは私の知人のある社長さんが「富士山をどうしても世界遺産にしたいのです。なんとしても先生がしてもらわなくては」といって何回も何回も懇願されてきたからです。

私は富士山は嫌いではありません。しかし富士山は自分とは関係がありません。何度も断ったのですが、其の社長さんは全く引き下がらず、最後は私も根負けしてしまいました。
しかし私は心のなかで、これを引き受けるに際して「自分にとってこれをやる目的は何なのか?」ということを問い続けました。目標は「富士山を世界遺産にすること」です。しかし自分なりの目的がいるのです。
それを考えて考えて3ヶ月後に、「日本と自分にとってこの富士山の世界遺産化運動の意味と目的」を明確にしました。
そうすると、心も定まり、それ以降何があっても「いやだなあ」と思ったことは一回もなかったのです。

結局2003年から始まったこの運動は10年の歳月を経て、花開き、プノンペンで開かれた世界遺産委員会で富士山は世界遺産になりました。
目の前で「富士山世界遺産採択!」のベルがなったときには、感動して涙がでました。
どんなことでも自分の心に問います。
「このことの目的はなんだろう?」

さてこのブログを続けている目的はなんだろう?
それは国家秘密です!!!
明日この国家秘密を暴露しましょう。

今日はその後実家の彦根に帰りました。