今日のアドバンスに、青木さんという方が参加されていました。青木さんは耳が不自由な状態で参加されました。みなさんアクティブですよ。
普通の話でも、耳が聞こえないというのは大変なハンデなのにも関わらず、アクティブのアドバンスを全部こなすというのはまさに至難の技です。
でも最後まで、完璧にこなされて、最後は感動感動でありました。
私は思うのです。その方はとても明るく、元気で前向きです。でも耳が聞こえないという世界はどういう世界なのだろうと。
もし自分に「音という世界」がなければ、どのように世界が写ってくるのだろうと。
でも、もしかしたらその世界は大変だろうけど耳が聞こえる人には見えない別の世界があるのかもしれません。
皆さんはブラインド・ウオークというものを知っていますか?
これは、目隠しをした状態で、誰かに手をひいてもらいながら、公園や道をあるくという実習です。
昔はじめてブラインドウオークの実習をした時には、いささか怖くて、初めはおっかなびっくりだったのですが、しかしパートナーに手をひかれて、公園や裏山を歩いていると、今まで感じなかったものが感じられるようになったのです。
足の裏の感触も、風のにおいも、あるいは頬にあたる太陽の光の熱も、また聞こえてくる音も、触った木の手に伝わる存在感も、道のかたむきも、目がみえるときと全く違ったものが感じられて不思議な感覚でした。
私たちは、「目にみえるものの外の目にみえないもの」に触れています。
また「耳に聞こえるものの外に耳に聞こえないもの」に触れています。
そして「心に直接感じるものの外に心がまだ感じないもの」に触れています。
それらが、何かの拍子にふっと感じたり、見えたりすることがあると思うのです。
今日参加された、青木さんは最後まですべて完璧にこなされ大変喜んでおられましたが、その姿を見て私もいろいろな思いが湧いてでてきました。
「どんな人生を生きてこられたのだろう」「どんな気持ちをもっておられたのだろう」そして「どんな世界を見てこられたのだろう」
彼女の人生にこのアクティブが何らかの役に立てばこんなにうれしいことはありません。
しかし今回もう一つ感じました。
彼女の研修に三人の手話通訳の方が交代でついて、一生懸命私の話を伝えておられた姿をみて、本当にすごいなあと感じました。
アクティブの課題を実際にしてもらうのは、ただでさえ難しいです。少しでも間違えばできなくなります。
通訳することも、普通よりよほど神経を使うことになりましょう。
でも、三人の方は本当に全力で通訳しておられました。人は一人では生きていけません。私たちは多くのそんな支えの中で私たちは生きているのだろうと思います。
自分自身数々無数の人たちによって支えられているのを感じます。
そして願わくば、自分自身が誰かの支えになれればこんなうれしいことはありません。
まさに「人を支える人の心も、支えられ人によって喜びを得ている」のかもしれません。
そんなことを感じた今日の研修でした。
明日はまた大阪です。
それではまた明日までごきげんよう!