いつでも、学ぶ

今日は朝から岡山入りです。私の感覚では東京から岡山までは OKなのですが、新幹線でそれ以上西に行くことになると、精神が着くまでに「まだかなあ・・・・・」という感じになります。
広島にいくと聞くと「新幹線で行くか飛行機でいくかそれが問題だ!」というハムレットの心境にいつもなります。
しかし今日は岡山なので全く平気です。例によって本を読み原稿を書いていると、昨日の卓球3時間の疲れがでてうとうとしているうちに、あっという間に岡山についてしまいました。
今日は岡山の銀行が主催した若手経営者の研修会のスタートダッシュの日で、私は半年にわたる研修の「号砲!」を鳴らす役目だったわけです。
午後3時間半ほど研修をしてのですが、皆さん自分で創業した人もいれば親やお爺さんから事業を継承した人もいるのですが、まだ若い、本当に今時の男の子や女の子もまじっていました。懇親会のときによくよく聞いてみると、もちろん小さな会社を立ち上げたひともいますが、事業規模が100億、300億の会社を引き継ぐ予定の人たちも何人もいて驚きました。


みなさん熱心に講義を聞いてくださったのですが、最初に「学びのサイクル」という話を1時間ばかりしました。
それは学ぶという原理についてなのですが、講義を聞くというのは「傾聴」ですね。
昔から私たちは「話を聞く」というのは「チャンと理解して習得する」ということだと思っています。しかしこの「習得する」ということと合わせて「気づく」ということがもっともっと大切なのです。
昔松下幸之助翁は「心が素直になってくるとな。目の前で犬がぺんぺんと尻尾を振っているのをみても『はっ』として悟るものやな」とおっしゃっていました。
昔ある講演会に友人と一緒にでかけたことがあります。それは日本経済の未来についての話なのですが、私はとても面白くいろいろはっとすることがありました。
その講演会の帰り、その友人に「今日の講演会面白かったね」といったところ、その友人は「いやあんまり面白くなかった」といってなぜ面白くないかということを滔々と私に語ったのです。
私は「ああそうなんだ」といいましたが、その友人にとってはとにかく面白くなかったのでしょう。
その講演が「おもしろかった」のか「おもしろくなかったのか」はこれを客観的に判断することは難しいと思います。
しかしでも「どちらが得をしたか?」といえば間違いなく僕の方だと思うのです。
僕も話を聞いていてあんまり面白くなくて淡々と話をされると思わず寝てしまうこともありますが、でも極力その話の中に一つでも二つでも「あっこれはためになった」と思うように心がけています。
 
さてさてさて「今日の私のブログためになりましたかな」「どうですか」
まさか「くだらん」とはいわないでしょうね・・・・・・・・・・・・。
というわけでいささか「脅迫」じみてきました。こんなことを書いてブログが炎上してはいけませんから、もうやめます。
最後に全く関係ありませんが、帰りに新大阪の駅におりた時に、みやげもの売り場にいってお土産のお菓子を買おうと思ったら、そこに「売り子」ならぬ「売りあんちゃん」がいて、僕に向かって「お客さん、これこれこれ大阪限定めっちゃうまいですよ。絶対買っていって損はありません。間違いなし!!」と呼びかけるじゃありませんか。

大体駅の土産物売り場でこんな客寄せみたこと今までみたことありませんでしたが、思わずその迫力におされて買ってしまいました。
僕はそのあんちゃんに「あなたのよびこみ『うまい』ね!おもわず買っちゃったよ」といったら、そのあんちゃん「お客さん何ゆうてはりまんのん。僕よりもこのお菓子の方が100倍『うまい』でっせ」と間髪入れずの切り返し。
こりゃまた一本とられたということで、写真は全く関係ないですが新大阪駅の売りあんちゃんです。

 
というわけで、話がどこかにいってしまいましたが、こんな話でも怒らないで暖かくみまもってくださいませね。
 
というわけで明日も皆さんの1日がすばらしい1日でありますように祈っています。
 
それではまた明日ごきげんよう!