宿命、運命、使命、天命

今日は、東京のある企業でリーダーシップ研修を行い、その中で「宿命・運命・使命・天命」の話をしてきました。

宿命といえば、あの「巨人の星」の「星くん、君とは宿命のライバルだ!」という花形のセリフを思い出すますが(んっちょっと待てよ、これって結構古い?)、宿命というのは「生まれ持ったものです」。私たちは自分の親を変えることはできませんし、生まれた年を変えることもできません(ごまかすことはいっぱいできます)。また男と女に生まれたというのも変えられませんし(ん、これも変えられるか!)、日本に生まれたというのも変えられません。

こういう変えられないもののことを「宿命」というのです。この「宿命」について私たちは全部全部満足しているわけではありません。
宿命に対する正しい態度は、人生において何がおこっていても、それを「受け入れ最高のものに生かす」ことです。

次に運命ですが、まさにこれは「命を運ぶ」ということですから、自分で人生を切り開いていかなくてはなりません。
人生におこるできごとをあるがままに「OK!」という心で見てみるといろいろなことが見えてきます。みなさんも人生の中で「あの時ひどい人(出来事)があった」という経験がいくつもあると思います。
でもその中で、「その嫌なできごとがあったから良いことがその後に起こった」ということもあるのではないですか。
僕にはいくつもあります。要はその一つ一つをどのように受け止めるかというのが運命観というものでしょうし、それがどんなできごとでも
、その出来事の一つ一つを「きっとよくなる前兆なのだ」という気持ちで見ていくと、必ず道は開けるのです。

そして「使命」ですが、これは「僕の使命は○○です!!」と威張るものではありません。
私たちがそのことに対して「好きだなあ!」「楽しいなあ!」という感情があり、そのことに対して「自分が成長しているなあ」という認識があり、そして「他の人たちが喜んでくれているなあ!」という三つの要素があるものを「絶対にやりとげるぞ!」という心で取り組むことを「使命」といいます。
使命というのは、いやいやながら「これが使命ですから」といって行うものではありません。
最後に天命ですが、こればっかりは自分で決めるものではありません。
そうではなくて、自分は頑張るけれど、もっと大きな力の後押しを心の中で感じ、それを実現したときに、ふと「これが天命だったのか?」と思うようなものです。
昔松下幸之助翁は、私たちにこんなことを語っていたことがあります。
「僕はな、今まで一生懸命やってきたけれど、ふと人生を振り返ると、なんだか始めからこうなるように決まっていたようなきがする」と。
これは決して自分が怠けていて何もしなくてもよいということではありません。そうではなくてそのことを懸命に行いながら、ふとした拍子に、もっと大きなものの導きを感じるというようなものです。
孔子が「我50にして天命を知る」といっていますが、まさにそんな心境なのでしょう。
というわけですが、僕はもうすぐ60ですが、まだまだ天命などというものは知りません。
もしかしたらこれから僕は「篠笛奏者」になって世界進出をするかもしれないじゃあーりませんか?
まあそんなことはありませんが、とにかく日々自分なりに「使命感」をもって進んでいきたいなあと思っています。

さて今日夜ヤフーの本社にいってきました。ふふふふいよいよヤフーと我が社が提携を結ぶのです(というのは嘘です)。

とにかく会社そのものが、遊び心に満ちていて、なるほど普通の会社とは全く雰囲気が違うなあと感じたものです。

というわけで、僕はお上りさんよろしく、「けんさくくん」と「えんじんくん」の間で写真をとりました。

これで僕も「やほー」の仲間入りじゃ。わはははは

それでは明日も良い1日にしてくださいね。

それではそれではごきげんよう!